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野沢直子がしくじり先生で5本のレギュラー番組を降板して渡米した真相を明かす

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野沢直子さんが人気絶頂期にアメリカへ渡ったのは挫折だった

ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさんとの心にしみる裏話を語る

「しくじり先生」で衝撃の告白!

あらためて野沢直子さんとは?

1963年生まれの野沢直子さん。

東京農業大学第一高等学校在学中に、「ドバドバ大爆弾」という所ジョージが司会の番組に出演。
その時の様子が大御所タレントの目にとまり、1983年に芸能界デビュー。

その後、叔父の野沢邦智の口添えで吉本興業に所属しています。

またたくまに人気タレントへ

ハチャメチャなしゃべりや、奇抜なファッションで人気を集め、あのテリー伊藤から大いに気に入られ、一気にレギュラー番組をもつ人気タレントになりました。

飛ぶ鳥を落とす勢いという感じだったんでしょうね。

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その野沢直子さんに、大きな試練が……

それが、フジテレビ系のコント番組「夢で逢えたら」。

共演したのが、まだデビュー間もないダウンタウン、うっちゃんなんちゃん、清水ミチコという今みれば、すごい面々。

それぞれが、コントを競い合い笑いをとるという企画の番組。

当時は、ダウンタウンにウッチャンナンチャン、清水ミチコさんもこれからというまださほど知名度も高くなくようやく人気がでてきたかという状況。

人気で上回っていた野沢直子さんは、余裕をかましていたのでしょが、いざ番組が始まると現実を知ることになります。

彼らには勝てない

この番組で、野沢直子さんは自分が到底かなわぬと認めざるをえない才能を見せつけられたということです

自分のコントではスタジオにまったく笑いが起きないのに、かれらのコントには笑いが起こる。

屈辱以外のなにものでもない。

いままで、下積みの経験もなく運と勢いだけでここまでやってきた野沢直子さんからみて、下積みから場数を踏んではい上がってきた彼らの凄みに圧倒されたようですね。

しかも、それぞれがもっている才能が並じゃない。

敗北感に打ちのめされるr

といって、相談する人もいないし、いたとしてもこんなことを相談するのはプライドが許さない。

番組を続けていくなか、収録中にストレスから胃が痛くなるくらい精神的に追いつめられていきます。

この状況から逃れるために、野沢直子さんはアメリカへ行くことを決心したようです。

とにかく、目の前の現実から逃げ出したかったんでしょうね。

勉強と修業にいくという大義名分をかかげ、アメリカへ行くことを決心。

 

アメリカで成功してやる

当時、5本のレギュラー番組を抱え人気絶頂だったので、事務所はなんとか引き止めようとしましたが、1〜2年で帰ってくるという条件でどうにか納得してもらいアメリカへ渡ります。

1〜2年で戻ってくるといいながら、内心はもう二度と日本には帰ってこないと決めていたようです。

相当、精神的ダメージが大きかったんでしょう。

アメリカでなら自分の芸も今以上に受けるかもしれないとも、思ったのかもしれませんね。

アメリカへ渡って心機一転、英語がまったくできないのにパントマイムをしたり、ストリートパフォーマンスに挑戦したりしています。

現実は甘くなかった

日本以上にアメリカ人に受けない。

まったく、通用しない。

そんな悶々とした生活のなかで、現在のご主人と出会い、結婚。

3人の子供に恵まれ、別の意味でアメリカは彼女にとって安住の地となったようです。

今の活動は

現在は、アメリカのサンフランシスコに暮らしながら、夏の間は日本に出稼ぎにくるというスタイルで芸能界活動をおこなっています。

出稼ぎというか、事務所から、いまでも月給15万円が支給されているようで、その給料分の仕事を夏にやるということになっているようです。

日本にいる間は、実家に暮らし。

2013年には事情で実家にいることができなくなり、ダウンタウンの浜田さんの家に居候して仕事にいっています。

まだ駆け出しのころ「夢で逢えたら」で共にがんばってきた仲間意識は、幾つになってもどんなに売れっ子になっても消えることはないのでしょうね。

浜田さんの奥さんとも親友といっていいほど仲がいいみたいです。

空いた席は野沢が帰ってきたときのためにとっておこう。

野沢さんがアメリカに渡った後、野沢さんの後釜にだれを入れるかという話になったようです。

ダウンタウンやウッチャンナンチャン、清水ミチコさんは、また帰ってくるからそれまで空いた席はとっておこう、ということになったと話してくれました。

だから、番組は最後まで、だれかを入れることはなかったということです。

意外な事実を知る

ある時、帰国した時に、当時の制作スタッフから、以外な事実を打ち明けられます。

「あの時のメンバーはみんなすごいプレッシャーと戦っていた」。

「メンバーの1人などは、頭に10円ハゲができていた」。

「そんなプレッシャーのなかで、どうやったらおもしろくなるか、ウケるかを必死で考えていたんだよ」と。

 

自分と彼らとの本当の違いは

それを聞いた野沢直子さんは、自分の甘さに気づいたということです。

自分と同じようにみんなプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。

でも、逃げるのではなく、正面からそのプレッシャーを乗り越えようとしていた。

ところが、自分は目の前のプレッシャーに立ちすくむだけで、どうしたら打ち勝てるか努力しようとはしなかった。

「ダメな自分を認めることでしか見えないこと、学べることもあると思う。一番悪いのはダメだと思ってその場から逃げ出すこと」

その言葉で、しくじり先生としての授業を締めくくっていました。
ここまでを読むと、なんだか湿っぽい感じがしますが、授業自体は笑いの連続でした。

 

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やはり、野沢直子はただ者ではなかった

レギュラー番組を多数かかえる実力と才能をもっていたことが伺いしれました。

髪をグリーンに染め、幾分ふっくらとした野沢直子が教室に入り自己紹介で現在53歳というと、生徒たちから「え、53歳なの」とざわめきが起こる。

すかさず、「そう53歳ですよ。最近尿漏れがひどくてひどくて。ちょっとしたことでも、チョロっとでてしまうんですよ〜」とさっそく笑いをとっていましたよ。

ここで尿漏れをもってきるユーモアのセンス。

生徒の米倉涼子さんなんか、大受けで爆笑。

それ以降、授業中ことあるごとに「涼子、涼子」とからまれていました。

アルプスの少女ハイジをやったときなんか、米倉さん肩を震わせて笑ってましたもんね。

 

枯れた名人芸の域にちかづいているか

おそらく、米倉さんや他の若いタレントさんなんかは、この番組が初めてのリアル野沢直子だったはず。

その彼女たちが、大笑いしているのだからその実力はダウンタウンやウッチャンナンチャンたちに引けをとっていない。

間のとりかた。

しゃべりのスピード。

なにより、そこに立っているだけで、人の笑いを誘うのは才能以外のなにものでもない。

夏だけといわずに、もっと日本で活動してほしい思う。

あのキャラクターは野沢直子さん以外にいないから。

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